野境道の桜を愛でながら…恵みの里を散策

約6.6km 約10.200歩

散策コース

三ツ境駅スタート⇒野境道⇒矢指谷遺跡⇒追分市民の森⇒六地蔵⇒円法寺跡⇒大貫橋バス停ゴール

 


 

[三ツ境駅]

  大正15年(1926)5月12日、神中(じんちゅう)鉄道が厚木から二俣川の間で開通し三ツ境駅として開業。その当時は二俣川から横浜へは乗合バスを利用した。

 

 開通当寺、瀬谷村大字二ツ橋に「二ツ橋駅」が設置されていた。その後横浜に向かって順次延長し、横浜駅まで延伸したのは昭和8年でした。

 また昭和8年には鶴ヶ峰駅~二俣川駅間の現在の高梨乳業前付近に「二俣下川駅」が設置され、二俣川村役場の最寄駅であったが、昭和18年「二ツ橋駅」と「二俣下川駅」共に廃駅となった。当時は戦時下にあり、節電対策として短い間隔の駅は全国的に間引きされていた。

 

 三ツ境駅は、標高が76mで、相鉄線で最も標高が高い駅です。

 


 野境道          

 昔、武蔵国と相模国との国境を通ることから野境道(のざかいどう)と云った。

 今から約300年程前の宝永3年(1706)の頃から江戸と鎌倉を結ぶ間道として利用されていた。

 

 江戸時代には、馬の放牧が盛んで、野飼(のがい)の道、

 野分(のわき)の道とも呼ばれた。現在旭区と瀬谷区の区境の道となっている。 

 右は旭区笹の台、左は瀬谷区二ツ橋町。なお、この道は分水嶺となっており、旭区側に降る雨は帷子川から横浜港に、瀬谷区側に降る雨は境川を経て相模湾に流れている。

 

 現在両側に68本の桜があって「こども自然公園」「ふるさと尾根道」と並ぶ桜の名所になっている。 1957年頃旭区側の自治会が車道と歩道の境に柳を植えたが、1965年頃バスの運行が始まり、市が道路管理を行うようになってから柳から桜に変わった。

 


 矢指谷遺跡 

 矢指谷(やさしやと)遺跡は、横浜市では最古の遺跡。

 西部病院建設時に発見され、昭和59年に発掘調査された。

 旧石器時代(先土器時代、紀元前18000年ころ)のナイフ形石器、磨り石、敲き石等の石器と、その原石、剥片(はくへん)が出土している。

 

 縄文時代早期(紀元前6000年ころ)の竪穴式住居と炉穴(ろあな⇒調理場)、

 縄文時代早期(紀元前6000年ころ)から縄文時代前期(紀元前4000年頃)にかけての100あまりの土坑(どこう⇒動物捕獲用の落とし穴)が発見された。

 

 T字状に広がった台地の北側に竪穴式住居、中央部に調理したと思われる炉穴(ろあな)、そして東側に土坑(どこう)という、縄文時代の人々の生活面を見ることができる貴重な遺跡。

 姶良(あいら)丹沢火山灰とは約2万年前、姶良カルデラの巨大噴火によって噴出した大量の火山灰のうち、空中高く吹上げられ偏西風に乗って東方で落下したもので、丹沢に多く見られる。

 火砕流として地上を流れ堆積したものを「シラス」という。

 


 追分市民の森   

 平成6年3月26日開園、 面積29.8ha→東京ドーム(4.7ha)の6.4倍 

 谷戸の田園風景と樹林が一体となり、四季折々の自然を楽しむことができる。

 故郷の景色を思い出させる森、木の香り漂う森、花畑は季節により、菜の花、ひまわり、コスモス等を楽しむことができる。鳥の声をバックに小川のせせらぎを一緒に連れての散策は気分爽快です。

 

 現在お花畑のある場所は昔の水田で、矢指川から水を引入れていた。この小川が帷子川の支流である矢指川で、水源はこの森にある。

 矢指川は矢指の森を抜け、三島神社の近くを通り、今宿南町で帷子川に合流している。

 

 [ハイテク・トイレ](焼却トイレ)

 焼却トイレは、灯油を燃料とし、ドラムに入った汚物を回転させながら蒸発・乾燥・焼却をする構造であって、従来型のような汲み取りは不要な汚物処理システムの燃焼トイレです。

  


一石三面六地蔵

旭区では珍しい六地蔵です。

上部は舟型 観音坐像、

中部は三面に二体ずつの地蔵立像 浮彫、(文久二年造)

下部(台石)安政四年造で人名が彫られている。

三体別の物を併せた物と考えられる。


円法寺跡

南鶏山円法寺と号し禅宗曹洞派に属した。

高座郡中和田村(現相模原市上鶴間)の泉龍寺の末寺でした。

明治初年に泉龍寺に合寺となる。

無縫塔七基と経典供養塔で八基が一列に並んでいる。

 

 


大六天社

創立は不詳だが天明8年(1788)の棟札がある。

また、御札には面垂神(オモダルノカミ)と書かれている。

仏教では六欲天魔王又は他化自在天と云う。

神道(本地垂迹説)では神代七代の六番目の面垂尊(オモダルノミコト)と惶根尊(カシコネノミコト)の夫婦神をさす。

 

本地垂迹とは日本の神は本地である仏・菩薩が衆生救済のために姿を変えて垂れたものだとする神仏同体説。