紅葉を楽しみながら・・・四季の森公園へ

約6.0km 約9.300歩

散策コース

鶴ヶ峰駅(8:30~9:00受付)→白根公園→正円寺→旭台中央公園→長坂谷公園→四季の森公園東入口→公園内周遊(解散12:30頃)


 [鶴ヶ峰駅] 昭和5年開業

昭和37年相鉄初の橋上駅舎化し5両編成運転に備えホームを110mに伸ばすなど相鉄の近代化は鶴ヶ峰駅から始まったと云われています。

 

相鉄の歴史

神中軌道→神中鉄道に

現JR保土ヶ谷駅から海老名村までを結ぶ軌道として大正5年(1916)に認可された。

 

 3年後に神中軌道から神中鉄道に改められた。神中とは神奈川県の中央部を走ることに由来する。

 

 関東大震災を機に起点とルートの一部変更があり、保土ヶ谷駅の起点が横浜駅に変更され、ルートも帷子川沿いに変更された。

 

大正6年12月創立

大正15年に厚木駅~二俣川駅開通(同年中に星川駅まで開通→現上星川駅) 1日7回厚木行き

 

昭和五年→鶴ヶ峰駅開設

昭和8年 横浜駅まで開通,貨車の後に客車一両のみで、途中駅は西谷、二俣川、三ツ境の三駅

 二俣下川駅開設→昭和18年廃駅

 昭和16年 現海老名駅に終点を移す。小田急の本厚木まで

 昭和18年 相模鉄道に買収され、相模鉄道の中の神中線となる

 昭和19年 相模鉄道が国有化されるが名前だけ残し、現在の相鉄になる。

 昭和10年頃 蒸気機関車に砂利貨車と客車を引いていた。

 昭和23年 希望が丘駅誕生。

昭和32年 横浜~希望が丘間複線化

 昭和37年 鶴ヶ峰駅初の橋上駅化2年後二俣川駅橋上化

 平成2年 乗降客ピーク。現在高齢化率市内トップ

 

 

 

開業当時

・客車10両 貨車50両(水道局へ砂利を運搬が仕事)

・昭和18年 二俣川下川廃駅

・昭和23年 希望が丘駅誕生

・昭和32年 横→希 複線化

 

昭和51年→いずみ野線二俣川~いずみ 野間開通

平成2年→いずみ野線がいずみ野中央 まで延長

平成11年→湘南台まで延長

平成30年 JRで新宿まで

平成31年 東急で渋谷まで延長予定


 ①白根公園

①a 白糸の滝(大滝)

帷子川の支流である中堀川にかかる幅7m、落差3.5mで、横浜市内での最大級の滝。(改修前は、幅9.1m、落差5.5mあったと伝える)

 

①b 万葉の歌碑(防人の歌)平成9年設置された万葉集歌碑。同じ歌碑が青葉区みたけ台の祥泉院の山門脇にもあります。

(万葉の歌碑天平勝宝7年 755の作 巻20)

わが国最古の歌集「万葉集」は16代仁徳天皇(5世紀前半)から47代淳仁天皇(奈良時代後期)まで約350年間に作られた約4500首を収録している。

都筑から筑紫(九州地方)に出征していく防人が残していく妻に贈った相聞歌です。

 

夫  服部於由(はとりべのおゆ)

我が行の   息衝くしかば  足柄の   峰延ほ雲と   見とと偲ばね

(わがゆきの いきつくしかば あしがらの みねはほくもて みととしぬばね)

 

妻  砦女(あため)

 我が夫を  筑紫にやりて うつくしみ  帯は解かなな 

あやにかも寝も

(わがせなを ちくしにやりて うつくしみ おびはとかなな 

あやにかもねも)

 

日本に現存する最古の和歌集で、天皇、貴族から下級官人、防人など様々な身分の人が詠んだ歌が編さんされています。

 当時の都筑は、現在の旭区・緑区・港北区・青葉区・都筑区を含めた広い地域で、武蔵国都筑郡の文字が最初に現れた最古の書物と云われています。

 663年(飛鳥時代)、朝鮮半島の百済救援のため出兵した倭軍が白村江の戦いにて唐・新羅の連合軍に大敗したことを契機に、唐が攻めてくるのではないかとの不安から、九州沿岸の防衛のため設置された辺境防備の兵が防人。約3千人が任期3年で、1年に1千人ずつが交代した。東国出身者が多かった。

 

①c 行者の滝(小滝)

白根神社境内の谷間から流出る滝で、行者の修行にも使われたことから行者の滝とも云われていました。

 

[不動明王]  

密教(真言宗、天台宗)における最高神である大日如来の命を受け、煩悩の泥の中にいる衆生を救済せんとする仏尊で、一面二臂で右手に剣、左手に羂索(縄)を持ち、迦楼羅焔[かるらえん=衆生の煩悩を食らうという伝説の火の鳥・迦楼羅天(かるらてん)]という焔を背中に、眼で睨みつけ、牙をむきだしにした忿怒(ふんぬ)の形相で立つ。

 不動明王は、人間界と仏界の中間にある天界の火生三昧(かしょうざんまい=人間界の煩悩や欲望が天界に波及しないよう列火で焼尽くす世界)と呼ばれる炎の世界に住まいしている。

 

[白瀧(はくろう)龍神]  

洞窟内に龍神を祀る。日照りの時に雨乞いをすれば雨を降らしてくれる神様。

 

①d 蛇塚

明治の初めの頃、二俣川大池に池の主の蛇が住着いていました。この蛇は、田畑を水害から守ったので村人から水神さまとして尊崇されていました。水神さまの信仰の厚い村人達が池の主の子孫を手厚く葬りました。

旭区郷土史には、百日紅の木の下に埋葬したとありますが、現

在は紅葉(もみじ)の木の下に蛇塚があります。

 

①e 白根不動尊

「白根神社」と「白根不動」が共存する不思議な存在=神仏混淆の典型か。

八幡太郎義家(武勇で知られた源氏の棟梁・弓の達人と云われた源義家、源頼朝の4代前)が、前9年の役(1051年~1062年)で、父頼家とともに東北地方の安倍一族を討伐した。その時、弘法大師作とされる(一寸七分=約5cm)を兜に入れて戦って勝利を納めたことに感謝して、康平6年(1063)この地に伽藍を建立し、不動明王坐像を祀った。これが、白根のお不動さんの始まりです。

 不動信仰は特に関東で流行り、五色不動(白・黒・赤・青・黄)が町を守るとされ、目黒・目白等不動信仰の名残の地名として残っている。白根の不動尊は青不動です。

 *建久2年(1191)、堂宇を再び造営。

*正慶の頃(1333)、新田義貞が鎌倉を攻めた時、兵火によって全焼し、不動明王坐像が焼失。

*元禄7年(1694)、畑の中から不動明王坐像が出土し、浄土宗・正願寺(しょうがんじ)を建立。本堂が山の上にあって階段を登らなければならなくて不便であったことから、人々が参拝しやすいよう山の下に前不動として、不動明王坐像が発見された場所に建設されたものと思われる。 

 

正願寺は浄土宗の寺であったが、「村の鎮守さま」として親しまれていて、神仏習合、神仏混淆の典型的な形態になっていた。

明治に入り、「神仏分離令」によって正願寺は廃寺となり、白根神社(日本武尊)となった。(白根神社の祭礼9月28日は、お不動さんの縁日と同じ)今は、山の上に社は移り「日本武尊」が祀られ、その山の下の平地には不動堂があり不動明王が祀られています。

 

「別当」とは、神社に属しつつ仏教儀礼を行う僧侶。「別当寺」とは、神仏習合が許されていた江戸時代以前に、神社を管理するために置かれた寺のこと。

 

[日本の三大不動]

 ①京都の青蓮院 青不動

 ②大津の園城寺 黄不動 

③高野山の明王院 赤不動

 

[関東の三大不動]

 ①成田不動 ②高幡不動(日野市)③大山不動。

 

「南口鳥居」  

平成22年、「だるま市」にだるまを輸送してきたトラックが鳥居を壊してしまいました。翌年鳥居を建直した際、「白根不動尊」の扁額が掲げられました。

また、柱には「白根神社氏子会」と「白根不動尊」の連名が見

られます。ちなみに、北口鳥居は「白根神社」のみです。

 

[だるま市] 

*お不動さんの縁日は毎月28日。本縁日は9月28日。

*初不動1月28日は、だるま市、約20年前から毎年開催されている 

 

[中堀川]

中堀川は西ひかりが丘団地の裏山、通称上白根耕地と呼ばれる付近に源を発し、白糸の滝を通過した後、国道16号線と交差して、本流の帷子川と合流します。

昔は、曲がりくねった川でしたが、宝永年間(江戸時代中期)下白根村の名主(当時は代官と呼ばれていた)斎藤市佐衛門が、川の一部を改修し直線化した。

改修区間は、現在の白根小学校あたりから白糸の滝の手前の斉藤橋までで、その時から改修区間を中堀川、それより上流を古川(ふっかわ)と呼ぶようになりました。

 名称が中堀川に統一されたのは昭和34年で、斉藤橋から下流が二級河川に指定されたのがきっかけです。


正円寺(真宗佛光寺派〈浄土真宗の一派〉・京都佛光寺の末寺)

境内の大きなモミジの脇に、殿墓と呼ばれる立派な墓が在る。これは1590年から3代にわたってこの地を支配し、この寺を開基した地頭・藤川氏の墓で、正面は藤川十衛門重安、後は父・重吉、前から見て右は2代目・重勝、左は3代目・重之。藤川氏は、藤原鎌足を祖とし、藤原南家工藤氏の流れを汲む一族。

初めは織田信雄(信長の二男)に仕え、その後徳川家康に従って540石を与えられた。

藤川家は、この地ではなく江戸に住んで、所領の管理は代官に任せたと云う。

 

[藤原四家(しけ)]

藤原不比等ふじわらのふひとの4人の息子→藤原北家・最も栄えた 

藤原道長・・頼通     

藤原南家・・工藤氏、伊豆

(伊豆工藤氏→伊藤氏)藤原式家藤原京家

 

 

 

 [江戸時代の白根村の知行地は?]

徳川家康は天正18年(1590)に江戸城入府と同時に、江戸より一日行程の距離の範囲を(都筑郡・橘樹郡も入る)幕府領(天領)や旗本の相給地に分けて体制を固めた。

 旗本は地頭として知行地を与えられ、地元に定着するか、江戸に住んで土地の管理を「代官」に任せるかであった。

幕府領の場合は、勘定奉行の元に代官が任命されて、地元の名主等の村役人を使って統治していた。同じ村内に幕府領と旗本領が混在していたり、旗本領が幕府領に変ったり、まちまちであった。

  白根の場合は、まず、1590年に地頭の「藤川拾右衛門重安」が着任した。しかし、白根に陣屋を構えることなく、所領の管理や年貢の収納は代官に任せて江戸に住んでいた。その後、藤川家は三代地頭が続いたが、領地替えになったか、幕府領に変ったのかは定かでない。

 代官として、はっきりしているのは、文化4年(1817)以降、斉藤氏が継承している。斉藤氏は、今の「代官橋」の前の山の上に代官所を構えていた。近くに「斉藤橋」もあります。

 初代代官「斉藤市左衛門」は行政では絶大な権力を任されていたようです。

天保年間(1830~)には、中原街道の上の、大池・小池と云う溜め池の水を北東側の山裾に沿って掘割の水路を築き、中堀川の改修と共に白根村の谷田に流すという一大事業をなした。

 

[地頭]

明治22年、市町村制の施行により6村が合併し、都岡村となった。

白根→藤川十右衛門重安→300石

今宿→美濃部右馬允→239石

二俣川→宅間伊織忠次→350石     

二俣川→渡辺勝→220石

二俣川→稲富重次→550石    

今井→有田九郎兵衛吉→120石

 

明治42年の記録

川井→倉林、駒井、鈴木        

上川井→鈴木

下川井→倉林             

今宿→美濃部、白井、木村

上白根→藤川             

下白根→藤川

6村合計 人口 2789人  戸数452戸


旭中央公園(街区公園)

市民の最も身近な公園。街区の住民が利用できるよう、誘致距離250m

の範囲内に、1か所あたり面積0.25ha(2500㎡)を標準として設置される。


長坂台公園

長坂谷公園(ながさかだにこうえん)は、広い芝生と、ダイナミックな大型の遊具が特徴。 丘の上のため視界が開けていて、気持ちのいい緑の芝生が広がっています。 中原街道の上白根付近にある長坂谷公園。 園内にはとても大きな遊具のほか、多目的広場ではボールを使えるので、お子さんとサッカーやキャッチボールもできますね。 また、舗装された平らな地面もポイント!自転車やブレイブボードの練習などにもいいのではないでしょうか? きれいな手洗い場やレストハウスもあるので、汚れても安心です。


四季の森公園(45.3ha)

永い歳月を経て丘陵に刻まれた谷戸と呼ばれる小さな谷、その湧水を利用して営まれた谷戸田と人の暮らしを包む森、里山。

横浜市緑区寺山町と旭区上白根町にまたがっており、管理事務所は緑区寺山町291にある。神奈川県が住宅用地として取得したが、貴重な天然林や湧水が残っていることもあり、用途が変更され1983年から公園として整備が進められた。

 

県立四季の森公園は横浜市の市街地にありながらそうした豊かな里山の自然をそのままに残した公園です。早春の淡い雑木の芽吹きに始まり、眩しい夏から色づく秋へ、そして冬景色へと、四季折々の花や生き物、里山の風景を楽しむことができます。

 

園内には、地形を生かしたふるさとの森・紅葉の森・あしはら湿原・春の草原・ピクニック広場・展望広場・遊具広場・しゃぶしゃぶ池・ジャンボ滑り台など、そして”さくらの谷”・しょうぶ園・花木園など沢山の施設があります。春、池の周辺を彩るナノハナを皮切りに、園内では次々と花が咲き始め、夏は虫たちの楽園になり、セミ、トンボなどさまざまな虫たちやピクニック広場周辺のわき水ではホタルが姿をみせます。水田の稲穂が頭を垂れ始めると、秋には、木々は紅葉し、名前の通りに四季それぞれに美しい公園を楽しむことが出来ます。P有

総面積は45.3ヘクタールで、1988年4月1日に部分開園した。園内ではボランティアによる炭焼きや小学生による米作りが行われ、シーズンによってはホタルの観察も楽しめる。カワセミの採餌を観察できる機会が多く、写真愛好家やバードウォッチャーが訪れる。

 

ビジターセンター、公園管理事務所

公園マップの配布、遠足などの団体利用や会議室・展示スペース利用のお申込み受付、公園の四季折々の植物や生き物の情報掲示、イベントのご案内、遺失物のお問い合わせ、その他の情報発信とお問い合わせにおこたえしております。

 

じゃぶじゃぶ池

緑の空間に落差5メートルの滝があり、その先は緩やかな流れになります。 水深は30センチメートル程度のため、小さなお子さまも安心して遊べます。水遊びのシーズンは、ご家族連れや子ども達で大変賑わいます。

 

野外ステージ

演奏、合唱、舞踊、演武などが披露できる緑に囲まれた140平方メートルのステージです。

530名が座れる観客席もあり、春の公園まつり、秋の区民まつり、野外音楽祭などでも利用されています。

 

展望広場

公園の南口に広がる開放的な広場で、春はさくらのお花見スポットになります。展望台、ジャンボすべり台、売店などがあり、大勢の方々がくつろいでいます。展望台は、標高約78メートルで東京スカイツリーや新宿副都心、富士山、丹沢の山並みが眺望できます。

 

遊具広場

すべり台やブランコなどを組み合わせた大型の複合遊具がある広場で、小さな子どもたちに大人気の場所です。

 

 

 

しょうぶ園(約1,500平方メートル)

梅雨の時期になると、深い緑に囲まれた谷戸に約4,500株のハナショウブが咲き競います。見頃の時期は公園管理事務所にお問い合わせください

 

さくらの谷(約4,500平方メートル)

公園の東側にある静かな谷。ここには19種類のさくらの木があり、春だけでなく秋のジュウガツザクラも楽しめます。また、アジサイも人気の場所です

 

四季の森公園桜

も南口周辺が見事だ。駐車場の周辺から売店横の広場にかけて大きく枝を張ったソメイヨシノが咲き誇る。木も大きく、数も多く、春の陽射しを浴びて輝く様子は素晴らしい景観だ。

公園の最も東側、中原街道に近い辺りにはその名も「さくらの谷」という区画がある。こちらはまだ木も小さく、数も多くないのだが、ソメイヨシノだけでなく、ベニシダレなど、他の品種の桜も楽しめるのがいい。