ウォーキングコース
緑園都市駅スタート⇒新橋神明社⇒観音禅寺⇒中丸家長屋門⇒集いのまほろば⇒富士塚⇒向導寺⇒普光寺⇒西林寺⇒永明寺⇒
中川地区センター⇒弥生台駅ゴール
新橋神明社
昔、神明谷戸と云われたこの地域の鎮守様で嘉元年間(1303~6)の創建。
初めは国常立命一柱をお祭りしていたが、伊勢神宮を参詣、遥拝する人が多くなったため、正和年間(1312~15)天照大神を合祀した。
観音禅寺
元和元年(1615)阿久和村領主であった旗本・安藤治右衛門正珍(まさとし)が、先祖の冥福を祈るために創建したと伝わるが、墓は観音禅寺北方の「お墓山」にある。
観音禅寺は鎌倉郡観音33札所の23番札所。
仏殿には、スリランカ国から奉安された「仏舎利(釈迦のお骨)」が祀られている。
同じく仏殿には、総丈4mの立派な釈迦涅槃像も祀られている。
中丸家長屋門
二階建ての長屋門は横浜では唯一と云う。現当主で18代目で、横浜市認定歴史的建造物。明治17~18年頃の建造です。
当社は先祖が建てた西林寺が菩提寺であったが、明治19年に邸内にキリスト教会を創ったそうです。戦時中に観音禅寺に改宗した。
ドラマ「再会」「花より男子2」などロケ地にもなっています。
平成14年には「横浜・人・まちデザイン賞」を受賞した
。
向導寺(浄土宗)
明治22年に中川村が誕生したとき、庁舎が新築されるまで仮庁舎が置かれていました。
富士塚
向導寺の裏山には、富士山を信仰する集団である富士講の人々が遥拝所として、また信仰の対象として富士山をなぞらえた人工の富士塚がある。
塚には、4つの富士講碑が立ち、塚の前には不動堂と琴平神社がある。
普光寺
高野山真言宗で宗祖は弘法大師空海。和歌山県の金剛峰寺の末寺。
室町時代中期の開山と云う。
境内には、「四国88ヶ所お砂踏み霊場」「賽の河原」「聖天堂」等があります。
西林寺(浄土宗)
長禄4年(1460)開創。長屋門の中丸氏から出た「閑悦」和尚が開山です。寺の入り口にあるしだれ桜は有名で、桜の季節には大いに賑わう。
家康の側室であった「於万の方」は岡津の人で、代官頭彦坂小刑部元正の推奨によって大奥に仕えていましたが、40才の頃、辞任したのち清源院尼と称し、竹の鼻に草庵を設けて住むようになり。その後、戸塚に清源院を建て移住し、その跡地に移転したのが今の清林寺だという説もあります。
永明寺
古文書によれば、天文11年(1542)「岡津郷領主太田越前の守入道宗真」の創立。
寺伝によれば、入道宗真は太田道灌の孫とされ、祖父道灌の菩提を供養するために、道灌を開創の祖として勧請しています。
永明寺の下の大山道には、道標を兼ねた地神塔と双体道祖神があります。
道標地神塔には、台座に「上り大山道、下りかしを道」
双胎道祖神は、文化10年(1813)の銘あがる。
永明寺別院
むかし、大山参詣の折には、必ず足を止めたのが、ここにある「大山道道標」です。
道標の正面に 庚申供養 大山道
左面に 享保十乙巳十一月吉日
右面 右 ほしのやミち とある。
⑩中川地区センター = ゴール
右から
・唐破風笠付角柱型六手合掌青面金剛塔
・唐破風笠付角柱型文字「庚申塔」 萬延元(1860)年
・唐破風笠付角柱型阿弥陀+三猿 寛文11 (1671)年
・駒型六手合掌青面金剛塔+三猿 正徳2 (1712)年