散策コース
二俣川駅(スタート)→宮沢遺跡→切割神明社→南本宿公園→無縁塚→弁財天→鎌倉・大山道追分→メダカの学校歌碑→教育水田→一本桜→武相国境の碑→
山王神社→緑園都市駅(ゴール)
[二俣川駅](写真は昭和30年頃の駅)
大正15年(1926)5月12日、神中(じんちゅう)鉄道が厚木~二俣川の間で開通し二俣川駅として開業した。その当時、二俣川から横浜へは乗合バス。
その後、横浜に向かって順次延長し、横浜駅まで延伸したのは昭和8年(1933)でした。
現在の1日の乗降客は約8万人で、相鉄線の中では横浜駅以外で大和・海老名に次いで多い。
忘れ物→2016年84759件 傘・袋、封筒・現金の順
翌日から二俣川お忘れ物センターで取扱う。変換率28.9%
相鉄線は2019年下期開業予定のJR「相鉄新横浜戦」。
2022年下期開業予定の東急東横線「東急新横浜戦」と命名、相互直通運転を開始する予定。
二俣川駅周辺10月から禁煙に
横浜市は二俣川駅周辺の約7.8haを2018/10/1より市内8カ所目の「喫煙禁止地区」に指定する。
その地区内では、喫煙所以外の公共の場所で喫煙した場合、2000円の過料を科す。市は指定に先立ち、7月に区域内の駅北口に喫煙所を設置する。
これまでに、横浜駅、新横浜駅、みなとみらい21地区などが指定されていて、昨年度に過料を求められたのは、約1.800人と云う。
②自然公園通り
二俣川駅南口から「こども自然公園」まで1.2Kmに、右76本、左82本のイチョウ並木となっている。
宮沢遺跡(標高77mの位置にあり3.000㎡の広さがあった)
昭和44~45年および56年に発掘調査された遺跡。
約4500年前の縄文時代中期の竪穴式住居跡9軒のほか、多数の縄文式土器や石器が発見された。
「宮沢」は、この土地の所有者であった宮沢学舎の内田家の屋号です。
切割神明社(祭神はイザナギの尊・イザナミの尊)
切割は小字名で、土地の人々は原神社と呼んでいる。
地権者14名、相続者59名が、神社の敷地を昭和61年社地に登記変更その記念に灯篭、社号標を建てる。
なお隣地に切割稲荷が在る。
境内には、横浜市名木指定の立派な大銀杏が聳立っている(樹齢約240年、樹高29m、目通し4.9m)。
南本宿公園
平成元年(1989)に公開 面積は2万7842㎡(約8.500坪)
敷地内には、桜など多くの樹木や花が見られ、四季折々の花が楽しめる自然豊かな公園として市民に親しまれています。
敷地内には野菜や草花の栽培を通して、自然に親しみ、緑の大切さを体験してもらおうと、約2000㎡の区分園(パーク菜園)を設置。希望者に有料で貸し出している。
無縁塚(深厚院様)
鎌倉時代の或る武将が祀られていると云う。(一説には榛谷氏とも)明治から大正にかけての頃、この付近で不幸な事が続き、この塚に眠っている武将の祟りではないかということになって、昭和3年(1928)6月22日に石塔を建立し、年2回塚の供養を行ったところ、その後不幸な事が無くなったと云う。
鎌倉・大山道追分
古道かまくら中の道の追分です。昭和53・43年(1978・1968)まで、この道は三叉路であった。
東に行けば、県立商工高校、美立橋、法泉を経て東海道の保土ヶ谷宿に、南に行けば、鎌倉中の道で鎌倉に、西に行けば、大池、長昌寺、現・希望が丘小学校を経て大山道に繋がっていた。
こども自然公園⇒昭和47年(1972)開園 通称「大池公園」。
起伏に富んだ丘陵地を生かした約47ha(東京ドーム約10個分)の市内最大級の公園。昭和30年代に入ると、相鉄が万騎が原に分譲住宅を作り、県の住宅モデル地区に指定された。これをきっかけに急速に宅地開発が進み人口が激増していった。
大池を含む周辺の土地を相鉄が市に寄付し、昭和43年から公園造りが始まった。
公園は大池を中心とした緑豊かな市内で2番目(1番は金沢動物公園)に大きな敷地面積をもつ公園です。
公園内には4つの谷戸(やと)があり。そのうちの1つの谷戸が源氏ボタルの自然生息地になっており、横浜市の天然記念物に指定されている。
[谷戸(やと)]とは丘陵地が水によって浸食され形成された谷で、山と山との間の窪地のことで、谷地(やち)・谷津(やつ)とも云う。
市内でも有名な桜(ソメイヨシノ千本)の名所として知られ、春はお花見、夏は蛍(天然記念物)秋は紅葉、冬は渡り鳥など四季折々の自然を楽しめる。
弁財天・大池の歴史
この大池は、古くから「本宿の大池」と呼ばれ二俣川村本宿の溜池でした。
池の畔には、天明3年(1783)天明の飢饉(日本近世の最大の飢饉)で亡くなった大勢の人々を供養した弁財天が祀られている、寛政2年(1790)建立。昭和45年大池の浮島より移設したもので、昔は清瀧弁大神と標示板に書かれていた。
旱魃(かんばつ)になると、代表者が大山の阿夫利神社に参拝し御神水(おしんすい)を持帰ってこの池に注いで、弁天様に「雨乞い」をする行事が、昭和33年(1958)ころまで行われていたと云う。
当時の面積は500坪(1650㎡)程でしたが、今はその4倍2000坪(6600㎡)ある。
元久(げんきゅう)2年(1205)6月22日、畠山重忠公との合戦の時、北条義時の大軍がこの池の水で米を炊いたと伝える。
池の主、大蛇の話が伝わっている。
[弁財天]
知恵・財福・学芸・技術の神。 琵琶をもっているので芸事の神と云われる。
七福神の中の紅一点で元はインドのヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神。
日本三大弁天=江の島弁財天、滋賀県竹生島の竹生島神社、広島県宮島の厳島神社。
「メダカの学校」歌碑
この碑は、公園内に在る「メダカの学校の池」に因んで建てられたもので、作曲家の中田善直氏は、旭区柏町に30年以上住んでいた。
[作曲者の中田善直]
・大正12年(1923)~平成15年(2000) 東京都出身作曲家
・昭和54年(1979)~平成12年(2000)日本童謡協会会長
・昭和43年(1968)から旭区柏町に30年以上住んでいた。
・主な作曲
「夏の思い出」♪夏がくれば思い出す 遥かな尾瀬遠い空♪
「ちいさい秋」♪小さい秋 小さい秋 小さい秋見つけた♪ 作詞:サトウイチロー
「雪の降る街を」♪雪の降る街を 雪の降る街を♪
熱心な嫌煙運動家で、父が晩年に結核に倒れてもなおタバコを吸い続けるほどの愛煙家であり、それを見ていた母からタバコの害を聞かされていたからだと云う。また、自分の手が小さくピアノを弾くのに苦労したという中田は、ピアノを習う子供たちのために鍵盤の幅を細くするという細幅鍵盤運動を提唱した。実際に作らせ、自身の作曲に使用した。
反核、憲法改正など政治や社会の問題に対しても積極的に発言し、新聞の投書欄に熱心に投稿し、騒音問題にも発言した、駅や飛行機のBGMも彼にとっては「騒音」であり、車掌やスチュワーデスに音楽を止めるよう直接要求したことさえある。
教育水田
昭和61年(1986)から続いている教育水田で、万騎が原小学校と南本宿小学校が実習している。平成26年度から、連作障害を避けるため、もち米の「喜寿」から「満月」に品種を変えて、生徒たちが籾蒔きから育て、秋には刈入れて餅をお年寄りに振る舞う。東日本大震災の折には被災地に送ったと云う。
水田面積 1336㎡(約400坪)
平成26年度収穫量439kg
こども自然公園の一本桜
[染井吉野(そめいよしの)]
江戸末期に、染井村(現・東京豊島区。染井霊園)の植木屋がエドヒガンザクラ(葉よりも花が先に咲く)とオオシマザクラ(花が大きい)とを人工交配して作りだした。
当初は、桜の名所である吉野山にちなんで「吉野桜」「吉野」という名前で売出して全国的に急速に広まったが、吉野山のヤマザクラとは別種であることから「染井吉野」と命名された。
成長が早く、葉がでるより先に美しい花が咲くことから日本全国に広がり、日本全体の桜の約8割を占め、桜の代表品種として親しまれている。成長が早い半面、60年程度が寿命と云われている。
江戸時代末期に品種として開発された染井吉野は、戦後の都市開発や公園整備に伴って全国に広まった。多くの染井吉野が一斉に樹齢50~60年の高齢に達し、衰えが目立ち樹皮に割れ目ができやすく「首赤艶カミキリ」には格好の産卵場所になっている。
[ゲンジボタルとその生息地]⇒ 横浜市天然記念物
ホタルの生息地として理想的な環境のなか、源氏ボタルは6月中旬頃から下旬にかけて、平家ボタルは源氏ボタルより一ヶ月遅れ位で見られる。
ホタルは世界に2000種程確認され、日本には50種程、横浜には7種生息すると云う。幼虫は陸生又は水生で肉食です。巻貝、蝸牛、蚯蚓(みみず)などを捕食するが、成虫は何も食べないと云われています。発光は牝の方が強く、異性誘引に用いられる。
区内のもう一つの横浜市の天然記念物は(西川島町=鶴ヶ峯小学校の東南東、嶋崎金子稲荷の『タブの木』、高さ25m、葉の広さ24m、樹齢350年)である。
武相国境の碑
この碑が立つ細い尾根道は、武蔵野国都筑郡二俣川村(現在の旭区南本宿町、大池町、柏町)と相模国鎌倉郡中川村(現在の戸塚区名瀬町、泉区緑園都市)との国境だった。
山王神社
緑園三丁目にある地元の鎮守さまです。こ の神社の本社は比叡山山麓にある日吉大社で、 大山咋神(おおやまくいのかみ)が祀られています。
神社の周辺の地形 は宅地開発により、すっかり変わってしまいましたが、神社は開発前から今と全く同じ場所、 同じ高さに社がありました。
また、境内には庚申塔、道祖神塔がひっそりと残っています。
[緑園都市駅](写真は開業当時の緑園駅付近)
相鉄いずみ野線緑園都市駅は、昭和 62 年 (1987)、新しい駅作りを推進するため、全国 から「これからの駅」というキャッチフレーズ で募集したアイデアをもとにつくられた駅舎で す。多くの緑、明るい採光、現代建築ながら利 用者をホッとさせる配慮を忘れないユニークな 駅です。平成 9 年に「関東の駅百選」(国土交 通省関東運輸局)に選ばれています。
緑園都市駅で2017/3月より改札付近で電車の到着を知らせるサイン音が試験導入された。フェリス女学院大学で、音環境をテーマに実習を重ねた学生らが相鉄の協力を得て考案した。駆け込み乗車の防止など、安全な駅環境の実現に学生の視点を生かした「産学連携」のユニークな取り組みが実現した。
同駅は改札付近に電車の到着時刻や行き先を知らせる表示器がなく、ホームに駆け降りる客が少なくない。
そこで、相鉄に電車の到着を改札付近で知らせるサイン音の導入を提案実現した。
識別しやすさを重視して、上りは音が上がり、下りは音が下がるのを基本に、快速は各停よりテンポを早くした。
上りはクラリネットとアルトフルート、下りはビブラフォンと楽器も変えた。サイン音は音楽用語で「歩くような速さで」を意味するアンダンテと命名された。
駅前広場の群像
緑園都市駅を中心とした、土地区画整理事業 の完成を記念して、駅の東口広場に昭和 62 年(1987)に建てられた記念碑です。この記念碑は、 台座部分が地区内の旧町名岡津町、新橋町、名 瀬町の三町を表しています。人物像は、そこに住んでいた戸数 46 戸、約 200 名を表現しており、 過去から現在、さらに未来へと続く都市と個人の歴史を「一筋の列」として作られたものです。