散策コース
石川町駅⇒大丸谷地蔵尊⇒ブラフ18番館⇒外交官の家⇒山手教会⇒山手公園⇒妙香寺⇒ベーリックホール⇒港の見える丘公園⇒元町中華街駅
ブラフ18番館
ブラフ18番館は関東大震災後に山手町45番地に建てられたオーストラリアの貿易商バウデン氏の住宅でした。
戦後は天主公教横浜地区(現カトリック横浜司教区)の所有となり、カトリック山手教会の司祭館として平成3(1991)年まで使用されていました。
平成3(1992)年に横浜市が部材の寄付を受け、山手イタリア山庭園内に移築復元し、平成5(1993)年から一般公開しています。
震災による倒壊と火災を免れた住宅の一部が、部材として利用されていることが解体時の調査で判明しました。
館内は震災復興期(大正末期~昭和初期)の外国人住宅の暮らしを再現し、当時元町で製作されていた横浜家具を修復して展示しています。
外交官の家⇒国の重要文化財
ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などを務めた明治政府の外交官内田定槌(うちださだつち)氏の邸宅として、明治43(1910)年に東京渋谷の南平台に建てられました。
設計者はアメリカ人で立教学校の教師として来日、その後建築家として活躍したj.M.ガーディナーです。
カトリック山手教会 (開港後日本最初の聖堂)
聖フラシスコ・ザビエルにより日本宣教が始まった1549年の後、厳しいキリシタン弾圧が続いていましたが、幕末の1859年開港時に日本再宣教のため、パリ外国宣教会のジラール神父らが来日しました。
1862年横浜居留地80番地(現横浜市中区山下町80)に「横浜天主堂」(イエズスの聖心教会)が献堂されました(国宝・長崎大浦天主堂が献堂される3年前の事です)。近代日本最初の教会であり、現在のカトリック山手教会の初代聖堂です。
ブラフ溝
現在、このブラフ溝は元町公園に残っている。ブラフ溝の「ブラフ」とは、「断崖・絶壁」という意味のよこはま言葉で、山手は「切り立った崖」であることから居留外国人からは「ブラフ」と呼ばれていた。 1874~1875年にかけて居留地周辺や山手の坂道などでは石造りの道路側溝が敷設されるようになっていた。この道路側溝を居留外国人は「ブラフ溝」と呼んでいた。
山手公園
1870年に、横浜居留外国人の手によってつくられた、国内初の洋式公園です。 日本で初めてテニスがプレーされたテニス発祥の地であり、園内の「テニス発祥記念館」では、テニスの歴史を知ることができます。 また、ヒマラヤスギが日本で初めて植えられ、ここから全国に広まりました。 2004年3月に、国の名勝に指定、2009年2月には、近代化産業遺産に認定されました。 花見の名所で、桜の大木が広がり、春には桜色のトンネルを楽しむことができます。
妙香寺
當山は本牧山妙香寺といい、横浜市の有数の寺のひとつに数えられております。 寺記(じき)によれば、 弘仁5年(814年)真言宗の開祖弘法大師(空海)の創立とされ、本牧山東海寺と称していましたが、その後 日蓮聖人の教化で日蓮宗に改宗、東海寺から連昌山(れんしょうさん)妙香寺となり、さらに現在の本牧山妙香寺となりました。 當山は「君が代発祥の地」、「日本吹奏楽発祥の地」であり、横浜にお ける日本での西洋文明発祥の歴史を紐解く絶好の地であります。 また
裏手には日本テニス発祥の地・「山手公園」があり、軍楽隊が奏楽を 行った野外音楽堂も残されています。
ベーリックホール
ベーリック・ホールは、イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、J.H.モーガンの設計により1930年に建築されました。
スパニッシュスタイルを基調とし、外観は玄関の3連アーチや、イスラム様式の流れをくむクワットレフォイルと呼ばれる小窓、瓦屋根をもつ煙突など多彩な装飾をつけています。また内部も白と黒のタイル張りの床、玄関や階段のアイアンワーク、また子息の部屋の壁はフレスコ技法を用いて復元されているなど見どころ満載です。
現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物で、建築学的にも価値のある建物です。
港の見える丘公園
2016年4月1日より緑化工事が終わり、今までバラ園であったエリアは、「イングリッシュローズガーデン」としてリニューアルオープンしました。
横浜港を見下ろす小高い丘にある公園。横浜ベイブリッジを望む絶好のビューポイントです。港の見える丘公園は、横浜でも有数のバラの名所です。
イングリッシュローズをテーマに一年草と宿根草との混植のガーデンとなり、四季を通していろいろなバラや草花が咲き競います。また、沈床花壇は「香りのローズガーデン」として沈床花壇としての地形を活かしながら四季を通してバラや草花、花木の香りと彩りをお楽しみいただけます。バラの見頃は、春と秋の2回。それぞれ5月中旬から6月中旬と10月中旬から11月中旬がバラの最盛期です。