散策コース
希望ヶ丘駅→長楽寺→春の木神明社→今宿公園→今宿市民の森→笹野台緑地→笹野台北公園→矢指・追分市民の森→楽老南公園→三ツ境駅
①希望ヶ丘駅
希望ヶ(カタカナ小文字)丘駅は、昭和23年5月26日に開設された。 駅名は公募したものですが、それ以前はこの辺り一帯を春ノ木と云いました。
[希望が丘]希望ケ(カタカナ大文字)丘高校(旧県立横浜第一高校)は、昭和26年10月24日、藤棚から現在地に移転した。
希望ヶ丘小学校はカタカナ小文字の「ヶ」。 希望が丘中学校はひらがな大文字の「が」を。その他の町名は、ひらがな大文字の「が」を使用している。
(鶴ヶ峰駅、鶴ケ峰1丁目・2丁目。 鶴ケ峯小学校、鶴ケ峯中学校。三ツ境駅、三ツ境。)
三経山(さんきょうざん)長楽寺
浄土宗の寺で創建は寛永2年(1625)。開基は膳部谷の領主・宅間二郎規次。
別名「しゃもじ寺」と云われ毎年、檀家の年始回りの時、新しいシャモジを配り代わりに1年間使ったシャモジを集めて1月15日にお炊き上げをして、感謝・供養する行事が行われている。現社殿は昭和57年(1982)に新築したものです。
参道下右の石塔3基
㊨舟形地蔵 地蔵立像 宝暦6年(1756) 宝殊、錫杖を持つ。
㊥観音講塔 八臂観音立像 天明5年(1785)角之丞以下12名 春木村
㊧湯殿山大日権現塔(巡拝塔)(大日如来坐像)天明6年(1786)
正面→(天下泰平国土安全 西国33番・湯殿山大権現 坂東33番・秩父34番)
春ノ木神明社
祭神は伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)伊邪那美尊(いざなみのみこと)と天照大神で、口伝によると伊勢講の人が伊勢神宮の神符を持ち帰って祀ったのが始まりで、元亀元年(1570)に社殿を建立し、昭和23年三ツ境神社を合祀した。
現社殿は昭和43年(1968)に再建したもので、祭礼は9月21日です。
新編武蔵風土記によると、江戸時代後期の建立当時、二俣川村の全戸数は152戸と記され、氏子は20戸位であったと思われる。
標高が92mで、横浜の相鉄線沿線において最も高い場所に在る神社であり、また住所が「東希望が丘」のため、「横浜の頂点を目指す」「希望を叶える」という意味で、縁起がいい神社として人気が高く、毎年1月Jリーグの横浜FCが初詣に訪れ必勝祈願している。
元旦には御来光を拝し、西には富士山が望める眺望のよいところです。
市認定名木・古木のタブの木がある。
今宿公園
日本の公園の歴史
江戸時代に人が集うオープンスペースとしては馬場や神社・寺の境内があり、職人の手によって整えられた草木や花の景観を楽しむだけでなく、出店が出るなど現代でいう都市公園に似た役割を果たしていました。
日本で最初の正式な公園が成立したのは1873年で、それまで神寺の土地であったものを国がいったん接収し、浅草寺の境内などを筆頭に「公園」として一般に開放しました。これが営造物公園(都市公園)の始まりです。
「公園デビュー」の言葉に代表される通り、地域コミュニティーとの触れ合いをもたらす重要な場でもあります。こうした「利用者にとっての効果」だけでなく、公園が存在することでその地域にもたらす「地域にとっての効果」も、公園の存在価値を高めています。
今宿市民の森
市民の森とは
昭和46年、横浜市が緑地面積を確保するためスタートさせた制度で市内に残る雑木林を所有者から借受け、景観を壊さないことを前提に、緑地を保全し、散策路や休憩所等を整備して、市民に開放しています。市内には42カ所、総面積503ha(2014-9-30現在)ある。
旭区には、矢指市民の森、追分市民の森、南本宿市民の森、今宿市民の森、柏市民の森の5カ所が在る。
笹野台緑地
旭区金が谷一丁目の笹野台緑地において、3月22日(土)に笹野台小学校の児童と近くにお住まいの方々の協力を得て、ツツジやアジサイ等400本の植樹を行いました。
笹野台
年号が平成に変わる頃から、笹野台・金が谷の地域もさまざまな変化が見られるようになりました。昭和61年の三ツ境駅改修で駅ビル「三ツ境ライフ」が完成した頃から、駅の周辺に高層のビルが作られ始めたりして、駅前の風景が次第に都市らしさを増してきました。商店街の様子も変わってきました。
住民は、高齢化が進み、地域の活動を支える人達の顔ぶれも変わってきました。子供の保育を必要とする若い世代も増えてきました。自治会とともに社会福祉協議会が地域の活動を担うようになりました。
笹野台北公園
この公園に来てびっくりするのは、平らで広い広い多目的広場。運動会ができてしまいそうな、気持ちの良い広さです。見ているだけで開放感が味わえます。
ここに立つと、都市の生活では、いかに広い空間が貴重か、身体で感じられます。
遊具は4種類ですが、大型コンビネーション遊具もあり、飽きずに遊べる構成となっています。
相鉄線三ツ境駅より徒歩10分の位置にある公園です。
こちらの公園の一番の特徴は、広い広い多目的広場! なんと、運動会ができてしまうかもしれない、というぐらいの広さです。子どもたちは思いっきり周りを気にせず走り回ったり鬼ごっこをしたりと自由に遊びます。
遊具も4つあり、大型の複合遊具もあるので体を思う存分動かすことができます。
園内には大きな木や植え込みもあり、緑にも癒されるスポットとなっています。
矢指・追分市民の森
横浜市と土地所有者とのあいだで10年以上に渡る契約を結び、緑地保全・市民の憩いの場づくりに役立てる制度で、1971年より実施されている。
市民の森に指定されるのは概ね2ヘクタール以上の土地で、樹林地のほか、樹林地と一帯となった原野や農地、ため池なども対象とすることがある。指定を受けると市が散策路などの整備を行い、土地所有者への緑地育成奨励金の支給や、固定資産税・都市計画税の減免措置がとられる。
土地所有者は、指定を受けた土地の開発行為が出来なくなり、所有権譲渡や抵当権などの権利設定には市長との協議が必要となる。
入場は日の出から日没までで、動植物の採取や持ち込みや火気の使用は出来ない。
旭区には開園予定を含め以下の6つの市民の森がある。
①追分市民の森 (矢指町/30.1ha/1994年3月26日開園)
②南本宿市民の森 (南本宿町/6.3ha/1995年9月17日開園)
③矢指市民の森 (矢指町/5.1ha/1991年4月28日開園)
④今宿市民の森 (今宿町/2.9ha/2013年3月15日開園)
⑤柏町市民の森 (柏町/1.9ha/2015年9月1日開園) →
⑥上川井市民の森 (上川井町/10.1ha/未開園)
楽老南公園⇒[楽老の峰]
標高85mで、この辺では一番高く見晴らしの良い場所である。西の方には丹沢連峰、その上に富士山、北の方では秩父連峰が眺められる。
徳川家康が命名するまでは、「美屋古(みやこ)山・鎌倉台」と呼ばれていた。頂上には狼煙台または物見台が築かれていたらしい。
慶長18年(1613)12月3日、江戸から駿河に向け中原街道を進んでいた徳川家康がこの峯で休憩した。その時、住民が差出した茶湯を飲んで大いに喜び、「老人の楽しみは茶が最も美しきこと、今後は楽老峰と呼ばれよ。茶種は駿河より送るにより茶の名所とせよ」と云った。
後日、約束どおり茶種が2俵送られてきた。住民たちはこれを育てて、当時の地名である東(あづま)郡にちなんで「東(あづま)茶」と名づけて名産にしたと伝えられている。
三ツ境駅
駅名の由来
1889年(明治22年)から1939年(昭和14年)にかけて存在していた都筑郡二俣川村(大字二俣川)と都岡村(大字下川井)、鎌倉郡中川村(大字阿久和)の三つの境であることから、「三ツ境」と名付けられる。
なお、この付近は分水嶺となっており、古くから武蔵国都筑郡(二俣川村・下川井村)と相模国鎌倉郡(瀬谷村)・同高座郡(下鶴間村)の2か国3郡が至近で境を接している場所でもあり(カッコ内は町村制施行前の村名)、当駅の横浜寄りが相模国と武蔵国の境(相武国境)にかかっていた。