1、木造大日如来坐像 :市指定(彫刻)公開 上川井町214 長源寺内
横浜市指定有形文化財(彫刻)
木造 大日如来坐像 時代 室町時代
寸法 像高33cm
この像は長源寺の本尊で、頭髪を高く結い上げて銅像の宝冠をかぶり、胸の前で智拳印を結ぶ金剛界の大日如来坐像です。
張りの強い面部や下半身の装飾的な衣の皺の刻出などに鎌倉時代の作風を受け継ぎ、丁寧にまとめられており、像底部の銘文から、東国仏教界に強い影響を与えた高僧の印融が、永正10年(1513)に寄付したことがわかります。
印融は、永享7年(1435)に、現在の緑区三保町に生まれ、港北区鳥山町の三会寺や鶴岡八幡宮で学んだ後、高野山で修業し、後に関東に戻り三会寺を拠点に、真言密教の復興に努めました。
この像は、当代の佳例であるうえ、印融の行った真言密教の復興運動の一相を示してくれるなど、資料的価値も高いと云えます。
2、畠山重忠古戦場跡 : 市登録(史跡) 公開 鶴ヶ峰本町一丁目他
畠山重忠の公碑(古戦場跡)
重忠没後750年を迎えた昭和30年6月22日の命日に、地元鶴ヶ峰と、重忠の出生地である埼玉県川本町の有志により建てられたものです。
この石碑には、重忠の生い立ちや、人柄、合戦の様子などが書かれています。手前の竹は、逆さ矢竹です。
なお、万騎が原には、明治25年建立の畠山重忠の遺烈碑があります。 その他、六つ塚、駕籠塚、首塚、腰巻・矢畑
当沢山の史跡があります。
3、白根村道橋改修碑:市登録(史跡) 公開 白根二丁目5
元文4年建立。
現在の16号線の状況からは理解できかねますが、当時の八王子往還は蛇行する帷子川と、大変険しい山が入り組んでいて、道行の難所が、ここ白根村と、保土ヶ谷の和田村にありました。
この碑は、白根村の難所の改修に尽力した人と、改修の理由及び、今後の維持管理などが記載されています。
「ここ、山道人馬の往来難儀のゆへに、この度その所の田地を買い求め、往来安からむ者也」と、
江戸の住人、桜井茂左衛門が、土地を買収し、破損した橋を改修し、往来の難儀を救ったとあります。
八王子往還は、芝生(西区浅間町)で東海道から分岐して、町田、八王子へと通じている約40kmの古道です。
荷駄の運搬、大山参拝、横浜港へ絹が運ばれたので「絹の道」「日本シルクロード」と呼ばれていました。
4、白根不動の境内:市登録(史跡) 公開 白根三丁目26
平安の武将、源義家(1039~1106)は、八幡太郎の愛称で親しまれていますが、旭区と縁の深い武将の一人でもあります。川井八幡社の境内には、義家のことを記した石碑も建てられています。また、白根神社にも義家がお守り代わりに愛用した尊像が祀られています。
白根神社との関わりは、平安時代末期、陸奥の安倍氏と、奥羽の清原氏が起こした反乱は、前九年の役、後三年の役として有名ですが、何れの乱も義家の活躍で平定されますが、前九年の役に出陣する時に、義家が白根神社に立ち寄り、祀られていた不動尊(尊像)を兜の中に納めて戦ったところ首尾よく大勝したため、お礼に鎌倉権五郎景正
に命じてお堂を建てさせたと伝えます。これが白根神社で
す。
義家は鎌倉八幡宮を建てた源頼義の嫡男。京都の石清水八幡で元服をしたところから、八幡太郎と云われています。
その他、境内には白糸の滝、白根神社、万葉集の防人の歌碑等があります。
5、旗本宅間家歴代の墓所:市登録(史跡)公開 本村町76-5 三仏寺内
旗本宅間家の歴代墓所
宅間家は上杉一族で、戦国時代には小田原北条家に属し、永谷(現港南区)を領し、江戸時代二俣川村を知行しました。現在、墓所には元和3年~明治15年(1882)に及ぶ計18基の墓塔(宝篋印塔4基、板碑形13基、角柱塔1基)と2基の灯篭遺されています。
元和年代の2基は切妻破風付きの古式な板石碑で、横浜市域では稀少な遺例です。
また、宅間家は、ここ三仏寺、希望ヶ丘の長楽寺、善部の妙蓮寺、善部神明社、本村神明社の5つの社寺建立に大きな功績を残しています。
6、善部妙蓮寺の曲題目:県指定(無形民俗)公開 善部町66 妙蓮寺
平成2年に県民俗無形文化財に指定されました。
江戸時代後期、安政年間に江の島の伝兵衛と云う人が、この地域一帯の日蓮宗の寺院に伝えたとされています。
現在では、こちらの妙蓮寺だけが伝承する貴重なものとなっています。
曲題目とは、字の読めない人に日蓮宗を広めるための、民俗芸能座舞の一つです。曲題目の伴奏で子供たちの演じる綾とり芸で、太鼓の曲打ち、バチの綾とりを主芸とするもので、全国的にみても、珍しいお稚児さんの芸能です。
7、三仏寺の双盤念仏:本村町76-5:県民俗芸能五十選」・「市無形民俗文化財」 公開
毎年10月27日と大晦日の11時から、古くから伝わる双盤念仏が奉納されています。
三仏寺に伝わる双盤念仏は四つの鉦と一つの太鼓を打ちながら念仏を称えるもので、檀信徒の双盤講によって受け継がれています。