旭区・二俣川の稲荷神社の多さについて!
旭区二俣川地区を散策していますと、実に多くの、かつ大小さまざまの稲荷神社に出会います。
二俣川の歴史に詳しい方の話では、昔の当地の地主農家は、多くの先で「屋敷神」として、豊作祈願を祈って、競って伏見稲荷大社の稲荷を勧請したそうです。
こうしたことから、昭和30年(1955年)頃までは、当地区には現在の倍以上の稲荷神社が有ったと、指摘する声も聞かれます。
ところが、わが国が高度成長に入るにつれ、二俣川も宅地造成と道路の拡張等のため、多くの稲荷神社や石仏・野仏が失われて行きました。
そうした中で、神社に合祀されたり、信仰心の深い昔からの居住者は稲荷神社や馬頭観音等を私有地の一端に残したりして、現在に至っています。
こうした歴史の流れを念頭に置き、以下の稲荷神社の写真をご覧ください。