コース
三ツ境駅→楽老南公園→瀬谷市民の森→区境の原野風景→川井浄水場→五神名地神塔→小貫谷戸水路橋→旧八王子街道→大貫橋バス停
三ツ境駅
駅は標高76mで相鉄の中では一番高い駅です。
・1926年大正15年に神中鉄道の駅として開業しました。
当時、三ツ境駅と瀬谷駅の間に二ツ橋駅がありました。
楽老南公園
遠い昔は美屋古山と呼ばれていましたが、江戸の初期徳川家康が駿河に旅行中、富士山が正面に見える大変景色の好いここで、住民の差し出す茶に甚く感銘して、茶種を送り楽老峰と名付けたと伝わります。
瀬谷市民の森 昭和51年オープン。面積約19ha.
瀬谷区で一番広い樹林公園です。近くには旭区の追分市民の森があり、この辺りは、大変自然に恵まれています。
北西側一帯は、広々とした瀬谷の原が広がり、その原野の大部分は、米軍の瀬谷通信基地となっています。
又、和泉川の源流の一つでもあります。
区境の原野風景
戦時中は、日本海軍の倉庫施設がありました。
昭和20年までは、旧日本海軍横須賀海軍資材終結所
昭和22年 米軍に接収されていたが解除される。
昭和26年 再接収
昭和30年 基地内で火災事故発生
昭和51年 広域避難場所に指定
平成15年 司令部が青森県の基地に移転
平成16年 返還の方針が合意。現在無人施設。
・当時、瀬谷駅から引き込み線がありました。それが今の 桜の名所になっている海軍道路です。
川井浄水場
明治20年日本で最初の近代水道として創設されました。
その時、水源地(道志川)と野毛の中間地点の川井に「接合井」(濾過池と配水池とを接合させるために設けた井戸)が築造されました。10年後、横浜の発展に伴い第一回拡張工事(明治30~34)が施行され、川井接合井に浄水場が完成しました。市内では現存する最も古い浄水場です。
五神名地神塔
地神信仰として、雑節の一つである社日(春分・秋分に最も近い前後の戊の日に地神を祀る風習が古くからある。
この日は、土をいじらず、鍬を手にせず、農作業を休んで春は豊作祈願、秋は収穫祭を行い、餅やお神酒を供え供養をすると伝わる。
大貫谷戸水路橋(神奈川橋100選の一つ)
この水路橋は、相模湖に溜めた水を西谷浄水場まで運ぶための導水路の一部です。
川井浄水場から鶴ヶ峰浄水場までの7kmの区間は100m進むと6cm下がる傾斜を利用して、水は自然に流れます。
橋の構造→長さ414m(内鉄鋼水路306m)高さ23m
水路構造→深さ2.7m 幅2.2m
完成→昭和27年9月
旧八王子街道
旧東海道の芝生の追分から甲州道の八王子八日町に至る全長約40kmの古道です。
江戸中期に白根と和田町に開削の記念碑があります。
甲州街道と東海道を結ぶ連絡道として、荷駄の運搬や、大山参詣の道として利用されました。
横浜開港当時は、輸出品の主力は生糸でした。八王子を集積地として」甲州、信州、上州、方面から生糸を集め横浜港へ運ばれたことから「絹の道」「日本シルクロード」と呼ばれていました。